えもやんこと江本孟紀さんの引退騒動をご存知でしょうか?
江本孟紀さんと言えば、元プロ野球選手にして野球評論家であり、政治家や実業家として活動されている男性です。
苗字をもじった「えもやん」の愛称でも親しまれています。
そんな江本孟紀さんの現役を引退したのは1981年。
もう36年前になるため、どんな引退理由だったのか知らなかった人も多いですよね。
そこで今回は、江本孟紀さんの引退理由となった暴言「ベンチがアホ」やその後の無収入生活や年収について、まとめてみました。
江本孟紀(えもやん)はベンチがアホが引退理由に?

さて、江本孟紀さんの引退理由になった騒動とは、どのようなものなのでしょうか?
「えもやんがテレビに出てるのは知ってるけど、現役時代は知らない」という人は多いですよね。
当時のエピソードを振り返ってみましょう。
ただ、実は江本孟紀さんの発言は、インタビューされるごとに何度か変わっています。
何が事実か分かりにくくなっていますが、まとめると以下のような流れのようです。
「ベンチがアホ」と引退騒動

1970年代半ば、江本孟紀さんは阪神のエースとして大人気でした。
見た目も二枚でカッコイイと言われ、女性人気も高かったといいます。
勝負は常にトップとは言わなかったものの、ピッチャーとしての実力は十分。
かの王貞治さんも苦手とする投手で、投手にしては打撃もできる方。
球速は高校生の時点で150キロを越えており、同時にカーブやフォークを何種類も持っている技巧派。
一部ファンには「えもやんのエモボールは魔球」とも言われています。
ただ、人間関係のトラブルはあったようです。
特に、当時の中西太監督は不仲。
練習中の怪我などの事故があった際に、中西太監督が謝罪しなかったことがあったといいます。
そこで江本孟紀さんは、ライターやタバコを監督に投げつけてキレてしまったそうです。
これはどっちもどっちの喧嘩ですね。
とはいえ、中西太監督の
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・試合の重要な局面で何も指示を出さない
・気が弱くて指導が甘い[/aside]
といった特徴も嫌っていたようで、江本孟紀さんと監督の不仲はみんな知っていたと言われます。
そして、引退理由のキッカケになった1981年の8月26日。
江本孟紀さんは7回までを1失点に押さえ、途中まで順調。
が、8回で点を取られ、若干のピンチに。
そこで、です。
江本孟紀さんは、指示や戦略を監督に仰ごうとしたそうですが、中西太監督は、無視。
何も指示せず、背中を向けていたそうです。
そのため、江本孟紀さんは自己判断で投げてみたようですが、そのせいで結局は同点に追いつかれてしまいます。
そして、挽回のチャンスを与えられずに投手交代。
ここで江本孟紀さんは「監督なのに指示を出さない」という指導力のなさや、今までの蓄積の怒りが高まり、暴言を口にしたそうです。
「ベンチがアホ!」「野球がでけへん!」
正確な言い回しは違ったという説もあるのですが、何か暴言を言ったのは事実らしいですね。
これがキッカケで、バッシングがあり、球団事務所にも叱られ、江本孟紀さんは引退することになります。
もちろん、球団事務所に言われたのは引退ではなく「謹慎」だったのですが、江本孟紀さんは自ら潔く引退を選んだと言います。
江本孟紀(えもやん)の引退後は無収入に? 年収は?
では、自ら引退を選んだ江本孟紀さんには、何かその後の仕事のアテがあったのでしょうか?
意外にも、全くアテはなかったようです。
仕事が急になくなり、無職の無収入になってしまい、途方に暮れた時期もあったと話しています。
「じゃあ年収0円になってしまったの?」と思ってしまいますよね。
しかし、江本孟紀さんが無収入になったのは実のところ、短期間だけです。
というのも、引退翌年の1982年に、『プロ野球を10倍楽しく見る方法』という本を出版しています。
野球選手ではあったものの、江本孟紀さんは選手時代から読書家で、活字や言葉を使う能力には長けていたようですね。
この本は、なんと200万部が売れる大ベストセラーになりました。
単純計算で、1000円の本の印税が10%と計算しても、1冊100円で2億円が収入として入ったことになります。
そして、同時期にフジテレビやニッポン放送の野球解説もはじめています。
無収入どころか、文字通り億万長者の有名人に1年かからずになっていたのでした。
その後も、政治活動をしていたことを見ると、文章を書いたり、解説をしたり、演説をするような「言葉を使う力」は高かったと言えるでしょう。
こうした力がある人は、必然的に年収が上がっていきますね。
江本孟紀(えもやん) まとめ
というわけで、江本孟紀さんについてでした。
ポイントをまとめると、
・江本孟紀は、現役時代は実力、ルックスともにレベルが高く人気だった。
・「ベンチがアホ」といった暴言で監督批判とされ引退
・引退後は一時期無収入になった
・その後野球解説や評論、タレント活動
・ベストセラーを出し、出版だけで2億円は稼いだと推定される
・政治活動も開始し、えもやんの愛称で親しまれる
ということですね。
暴言の騒動があって無収入になっても、あっという間に這い上がったのは凄まじい活力です。
「えもやんってなんか偉そう」と思っていた人も、この経歴を見れば考え直すかも知れませんね。