「ギャグ漫画の王様」と言われる漫画家、赤塚不二夫。
最近は「バカボンのパパよりバカなパパ」や「おそ松さん」の影響で、赤塚不二夫人気が再燃しています。
とくに、「バカボンのパパよりバカなパパ」では家族についても描かれたため、「赤塚不二夫の現実の家族ってどんな人だったの?」と、気になっている人もいるようですね。
赤塚不二夫は2回結婚しているため、「奥さんはどんな人だったの?」「最初の妻と、二人目の妻ってどういう関係だったんだろう?」などと言っている人もネットで見かけます。
そこでこの記事では、漫画家・赤塚不二夫の家族や妻について、まとめていきます。
〜もくじ〜
赤塚不二夫の家族構成
さて、1935年に生まれ、2008年に亡くなった漫画家・赤塚不二夫ですが、家族構成は以下のようになっていました。
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・父・赤塚藤七・・・軍人
・母・赤塚リヨ・・・芸者
・弟2名、妹3名
・一人目の妻・稲生登茂子・・・マンガのアシスタント
・二人目の妻・赤塚眞知子・・・スタイリスト
・娘・赤塚りえ子・・・芸術家[/aside]
軍人で厳格な父親・赤塚藤七と、元芸者の母親リヨの元に生まれています。
赤塚不二夫が長男で、弟2人と妹4人がいました。が、妹2人が病死し、弟が養子になり、小学生のうちに3人の家族を亡くしています。
現代では考えられない不幸ですが、戦時中はよくあることだったといいます。
そんな赤塚不二夫は、2回結婚しています。
どのような人物が結婚相手だったのでしょうか?
赤塚不二夫の一人目の妻・稲生登茂子は、アシスタント
赤塚不二夫の一人目の妻・稲生登茂子は、漫画のアシスタントでした。
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・名前:稲生登茂子
・職業:漫画アシスタント
・1961年に結婚し、1973年に離婚
・「おそ松くん」のギャグを赤塚不二夫と一緒に考えたなど、作品にも影響を与えた存在[/aside]
漫画のアシスタントとして知り合い、結婚後も一緒に漫画を変えていました。
ギャグで一世を風靡し、7年もの長期連載に成長。
この妻・稲生登茂子がいなければ、赤松不二雄人気も低迷していた可能性があります。
ですが、「漫画家とアシスタント」としての関係は良くても、男と女としての関係はうまくいかなかったのでしょう。
一緒に生活できなくなり、三年の別居生活を経て、その後は1961年に離婚しています。
とはいえ、赤松不二夫と稲生登茂子の関係は、切れたわけではありませんでした。
離婚後も交流が続き、なんと次の妻・赤塚眞知子とも知り合いでした。
赤塚不二夫の妻・赤塚眞知子は、スタイリスト
赤塚不二夫の結婚相手は、赤塚眞知子という方です。
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・名前:赤塚眞知子
・職業:スタイリスト。後に赤塚不二夫のフジオプロダクションの社長
・1987年に結婚、2006年に病死
・晩年まで一緒に過ごし、プロダクションの社長も務めるなど赤塚不二夫を支えた[/aside]
赤塚眞知子は、職業スタイリストでした。
普通では考えられないことですが、赤塚不二夫の前の妻・稲生登茂子妻に後押しされて、赤塚不二夫と赤塚眞知子は結婚することになりました。
通常であれば、前の妻と次の妻というのは、全く面識がないでしょう。
ところが、前妻・稲生登茂子は、赤塚眞知子に、赤塚不二夫との結婚をオススメしたといいます。
仲は良かったのか、登茂子と眞知子は、赤塚不二夫と一緒に結婚会見に登壇しています。
そうして結婚した赤塚眞知子は、晩年まで赤塚不二夫と一緒に過ごしていました。
赤塚不二夫ががんなどの病気になったときは、懸命な看病もしていたと言われます。56歳という若さで亡くなりましたが、最後まで関係は良かったようです。
赤塚不二夫の娘・赤塚りえ子は芸術家
そんな赤塚不二夫には、娘がいます。
一人目の妻・稲生登茂子との間にできた子供で、1965年に誕生しています。
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・名前:赤塚りえ子
・生誕:1965年生まれ。存命
・職業:芸術家、フジオプロダクション社長[/aside]
現在もお元気で、芸術家として活動中。
フジオプロダクション社長も務めており、英国の永住権を取って英国で生活している変わり者です。
赤塚不二夫の家族も、変わり者が多いですね。
赤塚不二夫の家族の現在 まとめ
というわけで、赤塚不二夫の家族についてでした。
・「おそ松さん」や「バカボンのパパよりバカなパパ」の影響で、赤塚不二夫に注目が集まっている
・家族は、2人の弟と、4人の妹がいた
・一人目の妻は、稲生登茂子というアシスタント
・妻・赤塚眞知子は、スタイリスト
・娘・赤塚りえ子は芸術家
ということですね。